「有(あ)り難(がと)う」という言葉は、一日に何十回と無意識でいうんだそうですが、私たちは日に何回いっているんでしょう。
有り難いとは、有ることが難(むずか)しいことですから、「めったにないこと」ということです。
仏教では、『人身(にんしん)受け難(がた)し今すでに受く 仏法(ぶっぽう)聞き難(がた)し今すでに聞く』といって、この世に人としていのちをいただいて生まれてくることは非常にまれなことだと考えるのです。いのちあるものは、土の中や草むらにいる虫から、海の中のおきあみや小川のメダカのようなものまでを数えると、それこそ無数です。それら生き物の数に比べた人間の数は何億何兆分の一でしょうか。何に生まれるかわからない中で、いま人のいのちをいただいていることは、そんなにも稀(まれ)なことなのです。
そしてまた、仏法という尊い教えをいま聞くことができることは大変貴重な得がたいめぐりあわせであるというのです。それは「有(あ)ること難(がた)し」なのです。ですから、めったにないことに巡り会う、また、めったにないことをしてもらったときに「有(あ)り難(がた)い・・・有り難う」という言葉が生まれたのです。「有り難う」は感謝の言葉です。いま自分がどれほど恵まれているかに気づくとき、有り難いなぁという感謝の念(おも)いが湧いてきます。
はだかにて生まれてきたに何不足
小林一茶
この句を味わいながら、いま人として生まれた有り難さをしみじみ感じてみたいと思います。