4歳の長男が畑作業を手伝ってくれた。日頃より「僕も手伝ってあげる」との心やさしい?長男の手伝いは、あとで周りの片付けのおまけが付くことになるのだが、この時は私の方から子供の背丈程に伸びた唐辛子(とうがらし)の茎に添え木を施す為の手伝いを要請。一本一本しなだれてヘナヘナだった苗木が見事にシャンとして整っていく。
その時の親子の会話・・・「ひろ君もちっちゃい時弱々(よわよわ)だったけど、今はこれみたくシャンとしてきたなあ。もう、お兄ちゃんやもんな!」。このひと言で気を良くしてくれたか「よいしょ、よいしょ、とんがらしガンバレ」と苗への声援に続いて思わぬ問いが返ってきた。「お父さん僕はもう抱っこや手を引っぱって貰ったりしないけど、この野菜は大きくなる程ささえがいるんやね」。添え木された苗に対する些かの誇らしさと素直な疑問に、私は「ひろ君にはお爺ちゃんお婆ちゃん、お父さんお母さん、それと二人のお姉ちゃんがいるだろう。手を継がなくてもみーんな僕のことささえてくれてるんよ!」と返事。「ふーんそうか。そしたらこのとんがらし、お父さんやお母さんいないから可哀そうやな。僕がお父さんになったげる」と、いやはや、やさしくも頼もしく返ってきた言葉に、十年後もそうあれよ、とつくづく感じたのである。