現在のページ:トップページ > 天台宗について - 葬儀と供養について
死は誰にでも訪れることです。生者必滅です。出会いの後には必ず別れがあります。これもまたこの世の真実であります。だからと言って残された者にとって、ぽっかりと空いた穴が埋まるものではありません。その悲しみは愛惜の情が深ければ深いほど大きなものでしょう。しかし嘆いても死者が蘇るものではありません。悲しみを超えて送り出さなくてはなりません。
「現世安穏、後生善処」と言う言葉があります。私たち衆生の願いを端的に表していると思います。後生は今生(現世)に対する意味で平たく言えば死後の世界のことです。死という避けがたい現実に対し、後生もまた安穏であれと祈る心は死にゆくものにも残されるものにも自然な感情ではないでしょうか。
葬儀に際して、先ず司祭を選ぶ必要があります。通常、菩提寺に連絡し、葬儀の日取りを決めます。次に会場を決めますが、葬儀社を介して決めることも多いようです。
葬儀に先立ち、通夜を行います。古くは臨終にあたり、臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)という儀式がありましたが、最近では稀です。また、死亡直後に枕経(まくらぎょう)をあげる習慣の地方もあります。
通夜は、近親の人たちにとって故人との最後の交流の機会でもあります。また、死そのものを直視し考えるかけがえのない機会ともいえます。
通夜の儀式は、新霊の浄土への引入を祈ることが中心となります。多くは阿弥陀如来のお迎えを頂戴するお経が唱えられます。(来迎佛)
天台の教えでは衆生は全て仏性を持っており、必ず仏になることができます。
そのためには仏様と縁を結ぶことが大切になります。そのために葬儀にあたり先ず心身ともに仏の弟子になっていただく儀式を行います。その後、仏弟子としてこの世(娑婆世)を離れ、仏の国(浄土)へと向かうことになります。
告別式は言葉どおりお別れの儀式です。故人の生前中、縁のあった人々とのお別れです。お別れの言葉(弔辞)が奉読され、弔電が披露されます。故人に代わって喪主が挨拶をします。そして手向けの香を献じてお別れします。
死者の冥福を祈るために、法事を行います。法事には追善回向の意味があります。
浄土は極楽と言います。何が極めて楽なのでしょうか。それは娑婆に付き物の苦労(例えば空腹や暑さ寒さなど)から開放され、ひたすら仏の教えを信じ、実践するのに最適であるということから極楽というのです。ここでの修行の糧として大切なのは生前に積んだ善行の功徳です。地位も金銭も代えることは出来ません。遺族は死者の冥福のためにこの娑婆(現世)で死者に代わって善行を行い功徳を積むことが大切です。このことを追善といいます。またこのようにして積んだ功徳を法事の際に、死者への供養として回向します。回向とは功徳を我が物とせずに他に振り向けるということです。
大勢の人を集め、どのようなご馳走をしても追善の心が無ければ本当の供養にはなりません。
さて、善行とは何でしょうか。最もすばらしい善行は、自らの心に仏さまを頂きその慈悲心を実践することでしょう。天台宗では心に仏さまを頂くことを授戒といいます。(生前授戒)
法要の営み方は地方地方で違いがありますが、おおよそ次のようになっています。
以後、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と行う。その他にも、毎月参りを行う(祥月命日)地方もあり、五十回忌や百回忌を行う例もある。