ほこりにまみれた身体(からだ)を洗い流すことはできますが、心のほこりを拭(ぬぐ)いさることはなかなか難しいことです。
物質的に豊かになれば、それにつれて私たちの欲望も増え、その欲には際限がありません。
宝石は掘り出された時は一塊(いっかい)の原石ですが、それに磨きをかけると美しい光が出てきます。しかし、ただの石ころをいくら磨いても光は出てきません。
それと同じように、もし私たちの心の中に光るものがないとしたら、どんなに熱心に修行したとしても、心のほこりは拭いきれないでしょう。
でも、お釈迦さまは、私たちはみんなもともと仏(ほとけ)になる可能性を備えているとおっしゃっておられます。それを仏性(ぶっしょう)といい、だれでもがもち合わせています。
言い換(か)えると、私たちのもっている仏性は心のほこりに覆(おお)われているため、その光が出てこないのです。
ほこりにまみれた身体を洗い流し、温かいお湯にゆっくりと入った後のような清々(すがすが)しい気持ちで仏さまに手を合せる。その時の心はとても清らかだと思います。
私たちの中にある仏性を磨くこと、それは心のほこりを拭うことです。
日頃から、こうしたことを心掛け、仏さまに感謝の気持ちを捧(ささ)げ、ご加護(かご)を信じて拝む。こうした地味な行いを積み重ねながら、一歩一歩歩んでゆくということが何よりも大切なことだと思います。