~戦闘とテロ即時停止を訴える場に~
去る八月四日、比叡山延暦寺において比叡山宗教サミット十七周年「世界平和祈りの集い」が開催された。
今回の祈りの集いは特に、戦闘とテロの即時停止、武力行使に傾く政治指導者、宗教指導者にねばり強い平和交渉を強く求めるものとなった。
同日の集いには、仏教、神道、キリスト教、イスラム教、新宗教などの各代表者、そして全国から集まった五百名近い宗教者など参加者は約七百名にのぼった。世界の国々には何の序列も、区別もないことを現すために、青少年達が自由に国旗を並べ替えるというセレモニーがあった後、渡邉惠進天台座主が武力行使の即時停止を「平和祈願文」の中で訴えた。続いて平和の鐘が打ち鳴らされる中、参加者全員で平和への祈りを捧げた。また、「平和を語る」と題して法相宗管長で薬師寺管主の安田暎胤師が平和の大切さを訴え(別掲)、さらに世界各国の宗教指導者からの 平和メッセージが披露されるなど、一刻も早い平和到来を願う宗教者の真摯な祈りの場となった。
安田暎胤・薬師寺管主 『平和を語る』(要旨抜粋)
人類における平和な世界とは、世界中の人々が互いに助け合い、武力を持って争わず、物心両面が豊かで不平や不満を抱かず、生き甲斐をもった生活がなされている社会ではないかと思います。ところがそうした社会は、人類史上で実現されていないのです。人の中には「所詮、人間は不完全なもの、平和を実現しようと願うのは空想論である」と冷笑される方もあります。
たとえそれが空想論と揶揄されようとも、宗教者は平和実現や理想の追求を諦めてはなりません。混沌とする世に、人々の行くべき方向を示すことが宗教者の役割だと思います。
しかしその宗教が、戦争や世の混乱の火種になっているように誤解されているところもあります。宗教は信仰によって強い信念が養われますが、ともすれば排他的になる面もあります。もし宗教の名において戦争が行われているとするならば、それは正しい信仰がなされていない証拠です。
争いの原因を避け、平和を目指していることは皆同じです。ただそうすることが良いとは分かってはいても、現実には自己中心的なエゴの欲望が働いてしまうのです。誰もが持っているエゴの心を、如何に浄化し慈愛の心に転換するかが宗教の果たす役割だと思います。
信ずる神や仏の名前は違っても、教えの内容は共通点が多いのです。それは人間の心の働きが同じだからです。
千年以上も継承され、人種や国を越えて伝わった宗教には、時間と空間を越えた永遠性と普遍性があります。それぞれが真理を語り、人の心に感動や癒しを与えてきたものです。宗教者は、各々の宗教に基づく正しい信仰に裏付けられた人間として、社会に貢献しなければならないと思います。世界の平和に向けての宗教者間の対話が必要だと思います。お互いが他の宗教を理解すれば、対立がなくなり友情が生まれます。