寺院と僧侶のあるべき姿を問う
「葬儀は誰の為に行うのか?」 全日仏シンポジウム
社会構造の変化に伴う人口の流動化により、かつての寺院と檀信徒を含む地域住民との関係は希薄になり、都市部では、寺檀関係のない住民が増えている。そのため、寺院と一般住民との間に宗教的な意識の共有化がなくなってきている。特に葬儀や法事などでは、信仰を抜きにしたサービスとみなすような意識が多くなってきている。全日本仏教会(河野太通会長)ではこのような現状に鑑み、去る九月十三日、東京・秋葉原コンベンションホールにおいて「葬儀は誰の為に行うのか?~お布施をめぐる問題を考える~」をテーマとするシンポジウムを開催、寺院と一般の人々との間に、かつてのような信頼関係を再び構築できるのか、という課題について討議を重ねた。
石田氏は、人口構成の推移を基に葬儀費の支出データや葬儀に関する宗教性、信仰・祭祀費の支出割合などのデータを提示し、葬儀における宗教性欠如の傾向を指摘。中島氏も、葬儀が宗教活動としてではなく、「サービス業」化しているとし、現代社会における寺の存在意義の喪失につながると警告している。
碑文谷氏もその背景に言及、寺院と檀家の関係は「住職は仏教の教えを説くという法施をし、檀家は財施で応える」関係であり、双方が宗教共同体である寺院を維持していくという基本を再確認し、葬儀も僧侶が死者を仏弟子として彼岸に送り、遺族の悲しみに寄り添うという原点に戻ることの必要性を強調した。
現役の僧侶である玄侑師は「消費される葬儀」になっている現状を憂い、葬儀は死者を縁として生身の人間と向き合う場であり、布施がギャラ化し、葬儀に付随する諸事もシステム化して行う儀式ではないと主張した。
第二部では、各講師の講演をもとに聴講者から出された質問をテーマに討議。葬儀における布施の意味、料金明示の問題などについて、それぞれの立場から発言があったが、最終的には今後の「信仰」「寺院・僧侶の在り方」に議論の焦点が移った。
「本来の布施の意味さえ知らない一般の人も多い。仏教をどう教えていくのか」(中島氏)。「寺から一歩出て、地域住民との連携が必要」(石田氏)。「開かれた寺にすべき」(碑文谷氏)。「情報化社会といわれるが、結局は生身の僧と人々との関係が基本」(玄侑師)など、現実の状況に甘んじることなく、仏教の原点に戻って活動を深めるべきとの意見に集約され、宗教法人としての危機的状況にあるという意識を持つことの重要性が指摘された。
団塊の世代とどう向き合うか
葬儀に関する支出が最も多いのは団塊の世代(六十一~六十三歳)。葬儀に関するアンケートによると、団塊の世代は自分の葬儀に宗教性を求めない人が四割を占める。
また、その子どもの団塊ジュニアも人口比は大きく、その宗教意識も低い。高齢化社会であり、二〇四〇年までは、葬儀件数の増加が予想されるが、中でも、この二世代が、今後の葬儀の在り方に大きな影響を持つといえる。
葬儀形式の約九割を占める仏教としても、単なる儀式としての葬儀ではなく、誕生から死までの一貫とした関係の中での『葬儀』が求められている。この二世代にどう対処していくのかが、大きな課題である。