水を見たら
水の美しさを見ればいい
花を見たら
その美しさに見とれればいい
春もいいが 夏もいい
秋もいいが 冬もいい
どっちもいい・・・・
武者小路実篤氏の詩です。「どっちでもいい」ではなく、「どっちもいい」といっているのです。
「で」が入るか入らないかで、意味は全く異なります。「どっちでもいい」ということばには冷たい響きがあります。「AでもBでも、私にはどうでもいいことさ」となげやりな感じがします。
では、「どっちもいい」の方はどうでしょうか。あれもいいし、これもいい。つまり、すべてがいいということで、あらゆるものの中にそのものの良さを見出していこうとするように見受けられます。それは、さまざまなものとの関わり合いを大切にする姿なのです。実に私たちの生活はこの関わり合いによって成り立っています。ですから、「どっちでもいい」と、なかば投げ槍に過ごすのではなく、「どっちもいいな」とすべてのものに暖かな慈しみの心をそそげたならば、生活に潤いを持つことができるはずですし、これを仏教では「縁」というのでしょう。
私たちは、気付くと気付かざるとにかかわらず、この縁によって一日一日を生きているのです。
さて、そこで問題は、これを「ご縁」としてありがたく受け取るか、「無縁」として無視するかなのですが、あなたはどうなさいますか。