「精進が足りないから、こうなるのだ」と、感心できない結果の時などに使われることがある精進とは?…
仏道修行に六波羅蜜(ろくはらみつ)という大事な実践徳目(とくもく)(心がけ)があります。波羅蜜とは、悟りに至るという意味で、それは次の六つに示された内容です。
布施(ふせ)波羅蜜(他の助けとなるいろいろな施し)
持戒(じかい)波羅蜜(してはならないという戒を保つ)
忍辱(にんにく)波羅蜜(苦しいことを耐え忍ぶ)
禅定(ぜんじょう)波羅蜜(心を安定させ、物事に集中する)
精進(しょうじん)波羅蜜(努め励む)
智慧(ちえ)波羅蜜(物事を正しくみる)
精進波羅蜜は、他の五つの徳目を含め大事な事を日々怠(おこた)らずに務めることで、そこから仕事や習い事を毎日コツコツと努力することを精進すると言うようになりました。
「継続は力なり」といいます。どんなことでも続けてこそ身につき、力ともなるので、一日怠れば、それまでの何十日分の努力が水の泡となって消えてしまうことも多いのです。
ですから、六波羅蜜の実践も、まず「精進」があってこそ他の徳目の意味もあるのだといえます。「昔は善いこともたくさんしたが今は休んでいる」というのでは意味がないのです。精進は一生涯です。
さて、精進も方法や方向を間違えると精進とは言えなくなります。
例えば、大変な技術をもったスリや、オレオレ事件のように巧みな話術で大金をだまし取る者などもいますが、こういう技術習得にいくら精出してもそれは精進とは言えません。あくまでも正しい方向への精進であることが大切で、これを正精進(しょうしょうじん)といいます。
ですから、仏道修行も稽古事(けいこごと)も社会生活もよい師匠や先輩に学ぶことが大事ですね。深い智慧をもって正しい方向と方法を常に示してもらえますから、道を踏みはずすことはないと思います。