天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第78号

比叡山宗教サミット22周年
「世界平和祈りの集い」を開催

 八月四日、比叡山延暦寺において比叡山宗教サミット二十二周年「世界平和祈りの集い」が開催され、約千名に及ぶ参加者は、世界の恒久平和を願い真摯な祈りを捧げた。
 二十二回目を迎えたこの集いでは、バチカン諸宗教対話評議会議長のジャン=ルイ・トーラン枢機卿が「平和を語る」と題するメッセージを発表、宗教間の垣根を越えて共に平和への祈りを捧げることの大切さを訴えた。

 「世界平和祈りの集い」は、延暦寺・一隅を照らす会館前「祈りの広場」を会場に午後三時より始まり、濱中光礼天台宗宗務総長の開式の辞に続き、「第四十四回天台青少年比叡山の集い」に参加した青少年が、平和を祈って折った折り鶴を地球に見立てたカプセルに奉納、同じく比叡山幼稚園児が献花を行った。
 続いて、半田孝淳天台座主猊下を導師に、延暦寺一山住職出仕による法楽が厳修され、半田座主猊下が平和祈願文を朗読。半田座主猊下は、今なお世界各地で武力紛争が止まないことに憂慮しながらも、米国大統領の核廃絶を目ざす声明に、「核のない平和実現に一筋の光明」が見えたと述べられた。その後、各宗教・教宗派代表が登壇、「平和の鐘」が打ち鳴らされる中、世界平和を祈る黙祷が捧げられた(写真)。
 黙祷の後、ジャン=ルイ・トーラン枢機卿が「平和を語る」と題し、メッセージを発表した。この中で枢機卿は、様々な宗教が共に集い、協力し、平和のために祈りを捧げることが真の世界平和実現に貢献することを強調した。
 また、この集いの成功を祈る海外の宗教者からのメッセージも紹介、バチカン国務長官タルチジオ・ベルトーネ枢機卿のメッセージをアルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教が、また世界仏教徒連盟(WFB)のパン・ワナメティー会長のメッセージはパロップ・タイアリー同連盟事務局長がそれぞれ披露した。
 続いて天台青少年比叡山の集いに参加した青少年代表によるユニセフ募金の寄託式が行われた。 
 なお今回の集いでは最後に、ドイツから来日中の、エッセンシュテーラー児童合唱団と京都市少年合唱団による奉献歌も行われた。時代を担う青少年たちの澄んだハーモニーに、各宗教者代表たちも「若い世代の人たちが平和を享受できるように」との平和への願いを新たにした様子であった。同集いは武覚超延暦寺執行の閉式の辞をもって午後四時半過ぎに終了した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

法事のためなり、何ぞ身命を惜しまん
諸人去(い)かずんば、われ即ち去(い)かんのみ

鑑 真

 天平五年、伝戒伝律の師を求めて、二人の日本僧が唐に渡りました。
 その時代、僧侶になるためには、十人の正式な僧侶による授戒が必要でしたが、当時日本には、それだけの正式僧侶がいなかったのです。
 そのため二人は鑑真を訪ね、日本でも、授戒ができるよう「どうぞ、お弟子を日本に送って下さい」と頼むのです。鑑真は、その願いを弟子達に伝えますが、誰も日本に行こうというものはありません。
 「仏法のためである。それなら、私が行こう」と鑑真はいいます。しかし、渡航は困難を極めました。五回失敗し、三十二人の弟子を失い海南島へ流されます。
 六度目の渡日を試みたとき、玄宗皇帝は鑑真の才能を惜しんでそれを赦しませんでした。そのため遣唐大使は鑑真の同乗を拒否し、ひそかに副使が乗船させて宿願の渡日を果たすのです。来日を果たしたときには十二年の歳月が過ぎ、鑑真は六十六歳になっており、失明していました。
 鑑真は、中国にいれば、高僧として厚遇されたにもかかわらず、失明してまでも、当時とすれば辺境未知の国であった日本へ渡って仏教の戒律を伝えたのです。仏法のために命をかけたといっていいでしょう。その不屈の精神力と、使命感には心から感服させられます。
 奈良の唐招提寺・御影堂にある鑑真和上の坐像は、その崇高な人間性を感じさせる傑作です。俳人松尾芭蕉は「若葉して御目(おんめ)の雫(しずく)拭(ぬぐ)はばや」と詠みました。
 永世棋聖の米長邦雄さんは、唐招提寺で鑑真和上坐像と向き合ったときに「私は失明したから日本に渡れたように思う」という声を聞いたといいます。目を犠牲にした鑑真の宿願を仏が果たされたという意味でしょうか。
 「法のためなら、命なぞ惜しくない。誰もが行かないのなら、私が行こう」というのは覚者の言葉です。

鬼手仏心

エルニーニョ現象  天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の一節に、『サムサノナツハオロオロアルキ』とある。今夏は夏らしい炎暑ということが少なく、いつまでも梅雨模様が続き、西日本では降雨災害で多くの犠牲が出てしまった。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、ご遺族に心よりお悔やみを申し上げる。
 この異常気象の原因として、南米太平洋岸のエルニーニョ現象が取り沙汰されている。どのようなメカニズムでこれが発生するのか未だ謎の部分も多いが、その容疑者として深層海流の停滞が考えられている。
 地球の気候がほどよく安定しているのは低緯度地方の高温と高緯度地方の低温が海水の環流と大気の循環によって調節されているからである。つまり北極付近の冷たい海水が沈み込み、東に流れる深層海流となり、やがてインド洋と太平洋で表層に顕れ、低緯度の高温を西向きの表層海流として大西洋の北部まで運ぶ。北海沿岸の都市が札幌より高緯度にも関わらず温暖なのはこの影響だという。
 しかし最近の温暖化とともに、北極付近での気温上昇により氷が溶け、冷たく塩分濃度の濃い重い海水が薄まり、海水の沈み込みが起きず深層海流が滞るのだという。その結果、通常南米沖に流れ込む冷たい海水が減り、水温の高い海水塊が留まることになる。これをエルニーニョ現象といい、この影響で、日本列島は冷夏・多雨の夏となるという。
 詩人でもあり、また科学者でもあった賢治にしても、遠い南米で起きた海水温の変化がおろおろ歩く原因であるとは思わなかっただろう。地球環境のメカニズムの大きさと複雑さを改めて感ずる。一度失ったバランスを取り戻すには余程の覚悟と地球規模の結束が求められよう。

仏教の散歩道

欲望を減らす

 一個百円のドーナツを三個買えば二百五十円に負けてくれます。太郎くんはそこでドーナツを三個買いました。太郎くんはいくら得をしたでしょうか?
 このような問題を出すと、たいていの人は「五十円得した」と答えます。百円のドーナツを三個買えば三百円になるのに、二百五十円しか払わないですんだのだから、差し引き五十円の得と計算するからです。
 でも、考えてみてください。太郎くんは本当にドーナツを三個も食べたかったのでしょうか……? もしも彼が本当は一個しか食べたくなかったのであれば、三個も買った太郎くんは、百円ですむところを二百五十円も払ったのだから百五十円損をしたことになりませんか。
 あるいは、こんな答えも考えられます。太郎くんには次郎と三郎の二人の弟がいて、その二人の弟にそれぞれ一個ずつドーナツを百円で売りました。だから、彼は五十円で百円のドーナツを食べることができた計算になり、五十円得したことになります。いや、二人の弟に売りつけるつもりでいたのに、一人しか買ってくれなかったもので、結局は五十円を損したことになる。そういうケースだって考えられます。
 まあ、ともかく、いろいろな答えが考えられるのです。正解は一つしかないという思い込みだけはやめにしませんか。
       *
 だが、わたしの言いたいことはそれだけではありません。わたしは、仏教が教える、
 -小欲知足-
 を力説したいのです。仏教は、欲を少なくし、足を知る心を持てと教えています。われわれはその教えを忘れてはなりません。
 たとえば、あなたがドーナツを二個食べたいと思って買いに行ったとします。ところが、一個百円のドーナツが三個買えば二百五十円になること分かりました。そうすると、多くの人がドーナツを三個買って、〈五十円を得した〉と思いますね。それが現代の資本主義社会の常識のようです。
 けれども、その常識はおかしいと思いませんか。
 あなたはドーナツを二個食べたいと思っている(それがあなたの欲望です)のに、なにもわざわざ三個食べる必要はないではありませんか。しかも無理して三個食べて、それで〈五十円の得〉と考えるのはまったくおかしい。むしろ〈五十円の損〉と考えたほうが計算が合っているのではありませんか。
 ドーナツに限らず、現代社会においてはこの手の「無駄」が多いようです。特売日だからといって余分な物まで購入し、冷蔵庫の中で腐らせてしまうような無駄をやっています。
 わたしたちは欲望を少なくすることを考えるべきです。二個のドーナツを一個に減らすことを考えたほうがよい。それなのに三個も買うなんて、まさに愚か者のすることだと思われませんか。

カット・酒谷 加奈

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