命すべてに極楽往生を願う
ペットはモノだから供養に課税?
[心のケアは宗教行為]
仏教、特に天台宗では、命あるものはすべて成仏すると教え、それゆえに命の大切さを説いている。それは、動物ばかりではなく、草や木という植物や、宇宙の森羅万象、命あるものすべてである。
それゆえ、飼い主から求められれば、供養をし、納骨を引き受けている寺院も多い。
ところが、このほど税務当局が「ペットはモノで、読経や納骨などは、宗教行為ではなく、課税対象」としたところから、法廷での宗教論争に発展しそうな気配である。
「成仏させ、飼い主の悲しみを癒すのは人の供養と同じ」と主張するのは、愛知県春日井市の慈妙院・渡辺円猛住職。
この問題に対して天台宗の工藤秀和総務部長は「施主は、ペットを家族の一員と考えていればこそ、法要と供養を依頼する。ペットの極楽往生を願うがゆえであり、法要と供養を始め埋葬にいたるまで、寺院の行為は、当然宗教行為以外の何ものでもない。葬儀供養により、飼い主の深い喪失感を癒し、安心を与える。このことが、宗教的行為でなければ、何が癒しを与え、安心を与えているのか全く説明がつかない。寺院ばかりでなく、施主(家族)に対する冒涜であると思われる」との立場を示し、また全日本仏教会も「仏教は『一切衆生悉有仏性』と、生きとし生けるものはみな成仏するという思想の上に立っており、その全てはそれぞれ支えあって生かされているいのち尊重の教えであります。このことからペットにおいても、深い宗教心をもって供養をおこなうもので、当然宗教行為と考える」と連携支援を打ち出した。
一九九九年に改正された動物愛護管理法によれば、その二十七条の2項に「愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、一年以上の懲役又は百万円以下の罰金に処する」とあり、同条3項には「愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめる事により衰弱させる等の虐待を行った者は、三十万円以下の罰金に処する」とある。この改正は、九七年に起こった少年A事件、いわゆる酒鬼薔薇聖斗が事件以前に行っていた動物虐待の事実をふまえている。
すなわち、愛護動物の命の尊厳を国家が保障することにより、青少年の情操を保とうとする国の姿勢である。
一方で、行政によって年間に殺処分される犬や猫は約五十万頭になる。飼い主の「もう面倒をみられない」という理由や、捨てられて野良となったペットたちは、各都道府県にあるセンターなどに送られ殺処分となる。
憂うべきは、自分たちの都合で飼い、捨てる人間の身勝手さであろう。「ペットはモノ」という見解が、更に命の尊さを軽んずる風潮に拍車をかけるのではないかと憂慮する。