半田天台座主猊下、大正大学校名表札を揮毫
キャンパス整備を進めている大正大学(東京都・豊島区)の巣鴨校舎では、新しく正門が設置され、昨年九月二十七日にテープカットが行われた。この正門に掲げられた『大正大学』『大正大学大学院』の校名表札は、半田孝淳天台座主猊下の揮毫になる。学生が毎日その下を通う正門と表札は、大正大学のシンボルとなりそうだ。
大正大学の前身は、明治四十一年に設立された宗教大学である。今回建設された正門は、同大学本館にあった車寄せをモチーフとしている。
宗教大学が大正十五年に大正大学と改称された後も、本館は長く校舎として使用され、椎尾弁匡をはじめとする宗教学の碩学が子弟の教育にあたった。しかし、昭和四十三年、宗教大学本館は解体されることになった。その面影を色濃く残す車寄せは、愛知県犬山市の明治村に保存されている。新しい正門は、その創立当時のイメージを今日に伝えるものである。
校名表札は、大正大学建学の四宗派(浄土宗・真言宗豊山派・真言宗智山派・天台宗)で組織される理事会で協議された結果、同大学の同窓生でもある半田天台座主猊下に揮毫を依頼することを満場一致で決定。大学からの申し出を快諾した半田座主猊下の書は、昨年夏に大学に届けられた。半田座主猊下は、昭和十六年大正大学宗教学科の卒業である。
九十二歳になる天台座主が揮毫した雄渾かつ端麗な『大正大学』と『大正大学大学院』の書は、このほど銅板処理がほどこされて正門を飾った。在校生を見守り、新入生を待つ正門と校名表札は、大正大学の過去と未来を繋ぐ役割を果たしている。
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半田孝淳天台座主の話
私は、同窓生ということもあり、今回校名表札を揮毫させて頂くことになりました。
他に適任の方もおられると思い、またその重責に、少し躊躇致しましたが、私は子どもの頃から朝な夕なに、自坊・常楽寺に掲げられていた「明智修徳」の大きな墨蹟を見て育ったことを思い出しました。それは東北帝国大学初代総長、京都帝国大学総長を歴任され、また大正大学の初代学長でもあった澤柳政太郎先生が揮毫された雄渾な書であります。ご縁というものを深く感じ、非常に名誉なことであるとお引き受けいたしました。