天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第69号

「一隅を照らす運動」40周年西日本大会を開催

 一隅を照らす運動総本部(秋吉文隆総本部長)では、十一月五日、福岡県の久留米市民会館において「一隅を照らす運動」四十周年西日本大会を開催し、会場は千三百人の参加者で埋め尽くされた。総本部では、「一隅を照らす運動」が来年四十周年を迎えるにあたり、四十周年記念事業のテーマとして『生命(いのち) 自然との共生』を掲げ、昨年の中央大会、来年の東日本大会と三カ年にわたり記念大会が行われる。

 西日本大会は、開会式で総裁である半田孝淳天台座主猊下御親修による法楽が奉修されたあと、濱中光礼一隅を照らす運動理事長の謝辞と、武覚超延暦寺執行が祝辞を述べ幕を開けた。
 引き続き記念法要として、玄清法流による琵琶法要が行われた。玄清法流開祖の玄清法印は、伝教大師が比叡山に一乗止観院を建立するにあたり、琵琶弾奏で地鎮をしたと伝えられており、千三百人に上る参加者は、荘厳な琵琶の音色に酔いしれていた。
 その後、放送タレントの永六輔氏による「明日を生きる力」と題した基調講演が行われ、永氏は「大声で笑うことで元気が出てくる」と笑いの効用を語り、自らが元気になり光を放つことで隣の人を輝かせ、反射した光で自らがまた照らされると述べた。テレビやラジオで親しみのある永氏の、ユーモアがあり時に語りかけるような講演に参加者達は聴き入り、同時に一隅を照らす運動の重要性に理解を深めた。
 また永氏は、「私たちの生命は両親から頂いたもの。両親の生命はそのまた両親から。そうしてつながっているから、三十六億年前に地球上に誕生した生命が、全ての人の中で生きている」と、生命の尊さを強調した。地球の誕生以来、連綿と受け継がれてきた生命と、現在地球上に存在するあらゆる生命は、全て繋がりのある『仲間』であるという『共生』の考え方に、大きな拍手が沸き起こった。
 閉会式では、この日会場で集められた五十万円もの浄財が、地球救援募金として秋吉総本部長に寄託された。大会の最後には、甘井亮淳西日本大会実行委員長(九州西教区本部長)が挨拶に立ち、「今後も、地道な活動を通じて、一隅を照らす運動を日本全国に、また世界に根付かせていくよう、邁進してまいります」と決意を表明し、閉幕となった。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

一大事と申すは今日只今の心也。
それをおろそかにして翌日あることなし。

正受老人

 正受老人は禅宗の僧侶です。正式な僧名は道鏡で、号は慧端。
 寛永十九年に松代城主真田信之の庶子として、信州飯山に生まれました。禅宗の高僧・至道無難のもとで十七年の厳しい修行をしたのち、三十五歳で故郷の飯山に帰ります。
 母と二人で、半僧半農の生活を送りながら「一日暮らし」を実践した僧です。
 比叡山で千日回峰行を二度満行された酒井雄哉大阿闍梨にも「一日一生」という言葉があります。厳しい修行をしたお二人に共通するのは、過去に未練を残すこともなく、また未来に思い煩うこともなく、ただ今、この時を真剣に生きる、という太い心棒のようなものを体得されていることでしょうか。
 禅宗で「一大事」というのは生死のことです。仏様から頂いた命、ただ今この時を真剣に生きなくて、より良い生もより良い死もあり得ないというのです。
 昭和の傑僧といわれた沢木興道老師がこんな話を書いています。
 ある雲水が師の部屋に行き、蚊の鳴くような声で「一大事をお示し願います」と問うた所、師は雲水をジロリと一瞥し「ウーム、誰の一大事か」とぶっきらぼうに受けたといいます。この師のことを、沢木老師はひそかに「般若の面」と呼んでいたというぐらい容貌魁偉の人でした。その師に睨みつけられたのですからたまりません。
 「ヘェイ、私のでございます………」
 「ナニイ、貴様のか、貴様一人ぐらい、どうでもいいじゃないか。ウフフフ………」とものすごい形相で笑ったと言います。その薄気味悪さは忘れられないと沢木老師が言うぐらいですから、相当な冷笑だったのでしょう。修行の足りないことを、痛烈に思い知らされたはずです。
 ただ今あるこの時を生きずに、いったい、いつを生きるというのか。「一大事をお示し願います」とは「何事か!」ということだったのでしょうか。

鬼手仏心

ペット供養  天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 ペットロス症候群という症状がある。
 ペットの死によって飼い主に大きなストレスがかかり、精神的症状や、身体的な症状が出ることをいう。
 家族同様に暮らしてきたペットではあるが、大概は飼い主よりも短命で最後にはその死を看取ることになる。
 我が家でも過去何度か経験したが、そっとシーツなどに包み、庭の一角に穴を掘り、卒塔婆や線香を供え、読経して埋葬したが、残された者には悲しくつらいものである。 長年にわたり、ペットと育んできた「愛情」が突然断ち切られ、喪失感に心が覆われてしまう。
 これがきっかけとなり、うつ的な症状などが出てくると、ペットロス症候群ということになってしまうのだが、そんな飼い主の心の痛みを癒す一つの方法にペットの葬儀を営むことや、ペットを供養することがある。
 過日、このペット供養について裁判があった。
 お寺が行っているペット供養が収益事業として課税対象になるか、ならないかを国とお寺が争った。結果、最高裁では収益事業と認定され、課税されることが決定された。
 その理由は、簡単に言ってみれば他の民間の葬祭業者となんら変わらない事業内容であるからという。
 お寺では古くから牛馬犬猫など、動物供養を宗教活動の一環として行ってきた。
 仏教では人間も動物もその霊的価値に於いては等しく、いわば同胞である。「動物の霊は人間の霊より下等だ」などとは考えていない。
 そこに供養し読経して弔う意味がある。とても収益事業に当たるものとは思えない。
 税収の減少から、従来の非営利法人原則非課税から、原則課税の方向に舵を切りつつある国策を、この判決の裏に見るのは穿ちすぎの杞憂だろうか。

仏教の散歩道

ほとけの子を叱る

 わたしの子どものころといえば、もう六十年の昔になりますが、あの当時のおとなは怖い存在でした。電車の中で子どもがふざけて騒いでいると、必ず誰かが、
 「こらっ、静かにしろ!」
 と叱ります。ときには拳骨(げんこつ)が飛んでくることもありました。そして、子どもがよそのおじさんに叱られているとき、付添いの親がまず謝ります。親が謝る姿を見て、子どももぺこりと頭を下げて謝るのです。そうすると、子どももそれが悪いことだと分かるのです。
 しかし、現在の日本の社会では、他人の子どもに注意すると、親がその人に猛烈に抗議します。
 「子どもが騒ぐのはあたりまえでしょう。あなたは何の権利があって、他人の子を叱るのですか!?」
 だから、他人の子を叱るおとながいなくなりました。そのため、現代っ子たちは、他人の迷惑を考えず、傍若無人の振舞いをするようになったのです。いや、子どもたちばかりではありません。いい年をしたおとなが、公共の場所で傍若無人の振舞いをしています。これは、わたしたち以上の世代がいまの中年の世代を叱らなかったからだと思います。わたしはいま七十二歳ですが、この年齢以上のおとなに責任がありそうですね。
 じつは、子育てをしている親は、なかなか子どもを叱れないのです。わが子を叱って、それで反感を持たれると困ります。例外もあるでしょうが、たいていの親はわが子に対してびくびく、おろおろしています。腫物(はれもの)に触るような気持ちでわが子に接している親があんがい多いと思います。
 それゆえ、親はわが子を甘やかしてしまうのです。
 そこで、親に代って子どもを叱るおとなが必要なんです。
 いえ、親に代ってというより、ほとけさまに代ってと言うべきでしょう。
 なぜなら、こどもはみんなほとけの子なんです。『法華経』の中で、
 ≪今、この三界は 皆、これ、わが有なり。その中の衆生は 悉くこれ吾が子なり≫
 と、すべての衆生が仏子であると述べられています。みんな、ほとけさまの子どもであって、子どもが成人するまでは親が子どもを預っているのです。しかし、親だけが責任を負っているのではありません。親はたんなる名義人であって、子どもはみんなほとけさまの子であれば、子育てはみんなの連帯責任です。
 だから、親がわが子を叱りにくいのであれば、近所のおとながほとけさまの代役になって、悪いことをしている子どもを叱らないといけません。子どもを叱らないでいると、子どもは悪魔になってしまいます。子どもをほとけさまの子に育てるためには、われわれおとなの責任が重いことを忘れてはなりません。

カット・酒谷 加奈

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