天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第67号

タイより延暦寺にパーリ語三蔵経寄贈

 九月十日、和宗総本山四天王寺(出口順得管長・大阪市)において、「ローマ字版パーリ語三蔵経」がチュラポーン・タイ王女より武覚超延暦寺執行に寄贈された。同経の「シャム文字版三蔵経」が明治二十六(一八九三)年に延暦寺に寄贈されており、今回百十五年振りに新たにローマ字版が寄贈されたことで、今後、関係する学術研究への寄与が期待される。

 十日、四天王寺で行われた贈呈式はタイ王室が後援し同経の制作を担ったダンマ・ソサエティ財団と日本テーラワーダ仏教協会が主催。タイと日本の関係者二百余名が出席、タイのプミポン国王の第三女・チュラポーン王女より武延暦寺執行に同経が手渡された他、国立国会図書館や仏教系大学などにも寄贈された。
 同王女は贈呈に際し「パーリ語三蔵経は、二千五百年以上保存されてきた人類の悟りの遺産で大切なものです。このローマ字版の出版と贈呈が世界の人々に叡智と幸福、そして繁栄を与える様お祈りいたします」と挨拶を行った。
 これに対し、武延暦寺執行が贈呈された側を代表して「このたびの寄贈により仏の教えが世界に広がり、人々の幸福と平和の実現に大きく寄与するものと確信します」と謝意を述べた。
 明治期の「シャム文字版三蔵経」は、当時の仏教研究機関五大陸・二百六十カ所に、チュラポーン王女の曾祖父にあたるチュラーロンコーン国王が寄贈している。
 同経が散逸してしまっている機関もある中、延暦寺の叡山文庫に収蔵されている同経は、完全な形で残っている。 そのため、同日の贈呈式には、この叡山文庫所蔵のものが展示された。
 今回のローマ字版は既に寄贈を受けている所も含め、日本国内十四カ所の仏教研究機関に贈られているが、国外でもインド、スリランカやスウェーデンなどにも寄贈されている。また、コンピュータ時代に対応させて、データベース化もされており、今後の活用が期待されている。
 水尾寂芳天台宗教学部長は今回の寄贈に関し「明治期に頂いたシャム文字版が完全な形で残っているのは珍しいと聞いています。叡山文庫には幸い、完全な状態で収蔵されており、今回、それに加えてローマ字版を延暦寺にお贈り頂いたことは、まことに名誉であり、有り難く思っております」と語っている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

夜、聖火は太陽へ帰った。
人類は四年毎に夢を見る。
この創られた平和を夢で終わらせていいのだろうか

市川崑総監督「東京オリンピック」

 「夜、聖火は太陽へ帰った」というのは、アテネで太陽光を集めて聖火が採火されるからです。オリンピックが終わり、聖火が消えるとき、その火は太陽へ帰ったというのです。
 映画の冒頭は、鉄球がビルを破壊する建築現場から始まります。オリンピックスタジアムを建設するために古いビルを破壊してゆくシーンです。
 当時のオリンピック関係者や政府関係者が参加している映画制作委員会が、よくこんなシーンを許したなと思われます。
 市川崑総監督は、望遠レンズとスローモーション、クローズアップを多用して画面を構成しています。競技の流れや勝敗ではなく、選手の足や筋肉の震えを捉え、無名の選手たちが、スタート前にみせる緊張、ゼッケンを引っ張ったり、ブツブツと独り言をいったりする場面が続きます。
この映画は四十四年前に「記録か芸術か」という論争を巻き起こしました。しかし、市川総監督は、確信犯で最初から記録映画をつくるつもりはなかったのではないかと思われます。撮りたかったのは普遍的な人間の姿だったのではないでしょうか。その証拠に選手の顔など、画面から切れたり、ずれたりしています。
 その一方で、グランドの水をスポンジで吸い取ったりして黙々と働くスタッフや、審査員の姿が撮り続けられます。自転車レースを応援するお爺さんやお婆さんたちが、田んぼのあぜ道に座っています。
 オリンピックの会場にのみ、一時的に創られた平和、これを夢で終わらせていいのだろうかというメッセージは、今なお重く人類に問いかけられています。
 しかし、アジアで初めてという東京オリンピックの「記録映画」のラストシーンに「創られた平和」を掲げることを許した当時の日本は、まさに先進国だと思います。

鬼手仏心

助っ人作戦  天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 高齢化が進む中、介護施設での人手不足が問題になって久しい。
 これを補うため、東南アジアから人手を入れることになったという。主にイスラム系の女性である。イスラムの教えはお年寄りを大切にするから、確かに適任かもしれない。しかし、これで良いのかと些か考えてしまう。
 老人に限らず、障害を持つ人の介護は入浴や食事の世話などいずれも大変な重労働である。また、徘徊や、不規則な睡眠時間などで二十四時間気の休まる時がない。
 介護される方にも様々な人生を積み重ねてきた過去があり、一人の人間として人格とプライドがある。単純に物を扱うように仕事はできない。 その上、これらの仕事に対する報酬は他の職種より、かなり低い。この仕事に意義を感じ、熱意をもって就職しても、現実の厳しさに直面して、退職する人の気持ちも理解できる。
 一人去り、また一人去りと、少なくなっていく人数で増えていく利用者の世話をすることになり、さらに介護環境が悪くなっていく。これを補うため、今回のアジアからの助っ人作戦である
 しかし、しかしである。
 日本経済が高度成長期をへて爛熟期に入ると、いわゆる3K「きつい、汚い、危険」という職種に就業者が減り、外国からの助っ人に頼るようになった。彼らは日本人より安い賃金で黙々と働き、今も日本経済の底辺を担っている。
 介護の現場も3K職種と似通っており、それゆえに、同じ道をたどるのだろうか。
 まず考えなくてはならないことは、介護に対する日本人の意識の改革であり、介護就業者の待遇改善であろう。本当に必要な所へ必要な手当をせずに、単純に他国の安い労働力を入れるだけの助っ人作戦には賛成できない。

仏教の散歩道

疲れる前に休もう

 《人の一生は重荷を負(おう)て遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず》
 これは徳川家康(一五四二-一六一六)の言葉です。
 わたしは大阪生れの人間です。十八歳で大学に入学したとき東京に出て来て、それ以後ずっと東京とその近郊に在住していますが、いまだに浪速っ子意識があります。だから太閤さん、豊臣秀吉(一五三七一五九八)のファンで、狸おやじの家康はあまり好きではありません。したがって、ここに引用した家康の言葉も、わたしは賛成できないのです。
 なるほど、人生を旅にたとえることはできます。そして家康が、「急ぐべからず」と言っていることには賛成です。人生の旅は急いではいけません。ゆったりとした旅をすべきです。
 ですが、家康の言う「重荷を負う」がよくない。旅を楽しくするためには、荷物はできるだけ少なくしたほうがいい。重い荷物を持って旅をすれば、それだけで旅は苦痛になります。
 では、「重荷」とは何でしょうか? 家康の場合であれば、それは天下を取ること。わたしたちでいえば、いわゆる立身出世になるでしょう。ですが、成功しようと思って人生を生きるほど、つまらぬものはないと思います。
 それは、途中の景色も楽しまず、神社仏閣があっても参詣もせず、飲まず食わずでひたすら目的地に急ぐ旅になってしまいます。それだと「急ぐべからず」になりません。ということは、重荷なんて背負わぬほうがよいのです。人生の旅は身軽るにやりましょう。
 それから、家康は言っていませんが、人生の旅には「休憩」も大事です。人生の旅を歩きづめに歩いたり、走りづめに走ったりすれば、倒れてしまうにきまっています。やはり途中のどこかで休むことが大事なんです。
 ところで、その休みなんですが、たいていの人は疲れてから休みます。へとへとに疲れて、もう歩けないとなってから休むのです。でも、旅を楽しくするためには、疲れる前に休んだほうがよさそうです。へとへとになってから休めば、休んでいてもちっとも楽しくありません。そして、これから歩まねばならぬ前途を思って、うんざりするはめになります。
 しかし、疲れる前に休めば、休みそのものを楽しめます。愉快に休むことができるのです。
 だから、わたしたちは、疲れてから休むのではなしに、疲れないために休むのだと考えたほうがよいと思います。
 じつは、ここに述べた人生の旅の三原則、すなわち、
 急がず・重荷を持たず・疲れぬために休む
 が、仏教が教える「中道」の歩みだと思います。中道というのは、ゆったりと、楽しみながら仏道を歩んで行くことです。わたしはそんなふうに考えています。

カット・酒谷 加奈

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