天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第63号

ミャンマー、中国へ緊急支援を

 天台宗では、中国天台山国清寺において、開宗千二百年慶讃大法会結願奉告法要を行うべく訪中団の準備を進めていたが、五月十二日に四川省を襲った大地震により中止を決定。急遽、天台宗・延暦寺両内局代表と事務局で構成された代表団が義援金を持参し、北京へ出発した。また、一隅を照らす運動総本部では、四川大地震と五月二、三日に起きたミャンマーのサイクロン被害に対し緊急支援金募金を始めた。

 
 黙祷捧げ犠牲者の冥福祈る

 四川大地震の発生を受けて、十四日、天台宗と延暦寺両内局関係者は緊急会議を行い、半田孝淳天台座主猊下からも「訪中に適当な時期ではなく、慎重な対応を」という内意ももたらされており「中止」との結論に至った。
 このため、濱中光礼天台宗宗務総長を団長とする九名の「開宗千二百年慶讃大法会奉告訪中代表団」が北京と天台山を訪れた。
 中国で「全国哀悼日」が始まり、天安門には半旗が掲げられた十九日に、代表団は北京に入り、仏教協会を訪問し、学誠副会長と面会して天台宗からの義援金百万円を手渡した。翌、二十日には国家宗教局を訪問し、郭外事部司長と面談。被災者の一日も早い回復と、施設・インフラの復旧を願って、一隅を照らす運動より義援金百万円を手渡した。午後には日中友好協会
を訪問し、地震発生の二時二十八分、黙祷を捧げ、犠牲者の冥福を祈った。 
 更に、二十二日には国清寺を訪問し、滋賀・三岐・東海・北陸の四教区訪中団四十七名と共に開宗千二百年慶讃大法会結願に対する感謝の奉告法要を行い、同時に四川大地震犠牲者慰霊法要を厳修した。

 広がるミャンマーのサイクロン被害

 ミャンマーのサイクロン災害は、正確な被害状況が明らかになっていないが、数万人の死者と二百五十万人に上る被災者を出していると推測される。被災よりかなりの時間が経過しているが、国情もあり、未だ国際社会の援助が届きにくい状況下にある。被災者の疲労も濃く、早急な支援が必要である。 
 一隅を照らす運動総本部では、ミャンマーのサイクロン被害と中国四川大地震被害への緊急支援に取り組むことを決めた。「地球救援事務局」を窓口として、義援金を受け付けている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

「何を祈ったの?」
「来世も人間に生まれるように。来世は幸せになれますように」
「他には?」
「みんなに、来世でいいことがありますように」

夢枕獏「西蔵回廊 カイラス巡礼」/光文社刊

 カイラス山は、チベット(西蔵)自治区にあります。ネパール国境のヒマラヤ山脈に連なり、標高は六千六百五十六メートル。 この山は、チベット仏教、ヒンドゥー教、ボン教の三宗教の聖地です。チベット仏教では、カイラス山を仏陀に例えて、取り囲む山々を諸菩薩に見立てています。また、ヒンドゥー教では、最高神のシヴァ神の住居とし、ボン教では開祖が天から降り立った山だとしているのです。
 ちなみにチベット名はカンリンポチェ(尊い雪山)、ボン教ではカンティセ(鬼の棲家)と呼んでいます。
 ですから、カイラス山には、チベット仏教徒やボン教徒が、五体投地をしながら巡礼をしています。五体投地にも、山を一周、三周、七周、二十一周というランクがあり、一周コースでも約二週間かかるといいます。
 巡礼に来る人たちは、老いも、若きも満ち足りた顔をしているといいます。僧も俗もこの山に巡礼にくることを一生の望みとしており、何カ月もかかってカイラス山に登ってくるのです。もちろん、徒歩です。
 相対的に貧しい彼らの旅は、観光客のそれとは違います。いくらお金を持ってきたかという問いには「二百元」と答えています。日本円にすると四千円です。それで数カ月の旅をしてくるのですから、たどりついた時には残っていません。帰りは、人々から布施してもらいながら帰るのだといいます。昔のお遍路さんに似ています。
 はるばる聖地にやって来て、捧げる祈りの中に「来世は幸せになれますように」とあるのには複雑な気持ちにさせられました。
 仏さまが、きっとその祈りを聞き届けて下さるように祈ります。

鬼手仏心

転禍為福  天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 今年も八月四日がやってくる。昨年は比叡山宗教サミット二十周年記念として「世界宗教者平和の祈りの集い」を十八カ国より宗教代表をお招きして開催した。
 「和解と協力」をメインテーマとし、「対立と憎悪」「破壊と暴力」の連鎖により、いまだ多くの悲劇に満ちた世界に向けて、私たちは宗教的慈悲と許しの精神による「和解」こそが世界平和に到る唯一の道であることを訴えた。 また、急激に拡大する消費経済により破壊された自然環境は、人類はもとより生態系そのものの存続を危うくしている現状に対して、今こそ世界の叡智を集めて地球復活のための「協力」を訴えた。
 これらのことは決して絵空事ではなく、二十年に及び繰り返してきた、私たち宗教者間の対話が、互いの相違を超えた理解と尊敬を産みだし、その友誼のもとに平和協力の活動を進めることができるまでになったことからも明らかである。
 あれからもう一年が経つ。その間、世界でもまたアジアでも色々なことがあった。ミャンマーでは民主化を求める民衆に対する軍事政権による弾圧とサイクロン大災害。北京オリンピック開催で沸く中国で起きたチベット問題と四川大地震。
 日々平安を願い、人と人との融和を求める人間としての根源的願いを最優先とし、互いの主張・立場を尊重し、問題の解決と災害復興が成されることを切望する。
 「禍転じて福となす」という諺がある。混乱の中で多くの命が失われた。心より哀悼を意を表するとともに、この失われた命を無にしないためにも、さらなる悲劇は防がなくてはならない。
 仏祖の慈悲が世界の隅々にまで行き渡り、全ての人々が幸せになりますよう、今年も比叡山での祈りが捧げられる。

仏教の散歩道

仏教は智慧の宗教

 コブラは毒蛇です。普通の状態だと無毒の蛇と変わりがないのですが、危険を感じて興奮すると、体の前半部を立ち上がらせて、頸部を広げて特有の威嚇姿勢をとります。
 インドやスリランカでは、街頭で「コブラ踊り」の見世物がみられます。コブラが笛にあわせてゆらゆらと踊るのです。しかしあれは、コブラが本当に笛の音を聴いているのではなく(コブラの聴覚は鈍感だそうです)、暗い容器から急に、明るい所に出されたコブラが興奮し、威嚇行動をとる習性を利用したものです。もちろん、見世物に使うコブラは毒が抜かれています。
      *
 お釈迦さまが過去世において修行しておられたとき、その近くにコブラがいて一緒に修行していました。お釈迦さまはコブラに、
 「あなたはすぐに怒りだす悪い癖があります。だから、あなたは、怒らずにじっと我慢をする忍辱(にんにく)の修行をしなさい」
 と忠告しました。
 「はい、分かりました。わたしは怒らない修行をします」  と、コブラはお釈迦さまに誓いました。
 ところで、あるとき、コブラが住んでいる森の中に子どもが薪拾いにやって来たのです。だが、子どもは拾った薪を縛る縄を持って来るのを忘れていました。<困ったなあ………。どうしようか>と思ったのですが、そこに一本の縄が落ちていたので、<ちょうどよかった>とその縄で薪を縛って家に帰りました。
 じつは、縄だと思ったのは例のコブラでした。あたりが暗くなっていたので、子どもはコブラを縄と見まちがったのです。コブラはお釈迦さまとの約束があったので、黙って縄の役目をつとめました。しかし、そのために、コブラは背骨が折れるし、あちこち傷だらけになり、死にそうな思いをして森に逃げ帰って来ました。
 「いやあ、ひどい目に遭いました。わたしは危うく殺されるところでした」
 と、ちょっと恨めし気に、コブラはお釈迦さまに報告しました。するとお釈迦さまは、こう言われました。
 「あなたは馬鹿ですね。あなたは頸部を広げて威嚇姿勢をとり、シューッといった威嚇音を出せばよかったのですよ。そうすると子どもは、これは縄ではないし、普通の蛇でもない。これはコブラだと気がついたはずです。そうすれば、そんな危険に遭うことはなかったのですよ」
      *
 怒らないこと、忍耐をするということは大事なことです。しかし、それにも限度があります。なにも生命の危険を冒してまで、馬鹿正直に忍辱の修行をする必要はありません。どこまで耐え忍ぶべきか、わたしたちはそれを判断する智慧を持つべきです。仏教は智慧の宗教だということを忘れないでください。

カット・酒谷 加奈

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