比叡山宗教サミット20周年記念
「世界宗教者平和の祈りの集い」
記者会見で意義をアピール
一九八七年八月、世界平和を願う第一回比叡山宗教サミット「世界宗教者平和の祈りの集い」が開催されて今年で二十周年を迎え、本年八月には比叡山宗教サミット二十周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」が開かれる。諸宗教間の対話と相互理解は深まったが、宗教を口実にした紛争も絶えず、全人類の悲願である恒久平和を求める声も止まない。世界の現状は今なお平和にほど遠い状況である。今回の祈りの集いで宗教者はどのような決意を持って「平和」希求の祈りと行動に臨むのか。主催する「日本宗教者代表者会議」の代表者が開催を前に、記者会見で決意を述べた。
席上、挨拶に立った半田座主猊下は「人類普遍の願望である平和と安らぎは未だ達成されていない。対立と憎悪、暴力と破壊の連鎖でなく、和解と許しでのみ平和の道が拓かれる」と述べ、そのために宗教者の対話と相互理解が重要だと指摘した。白柳枢機卿は「平和を求める正義の概念の中に『許し』を入れねばならない。正義の中に『許し』が入って初めて正義が人間の顔を持つ。今、求められているのはこの正義である」との考えを表明。出口大本教主は「世界各地で民族、国家間の対立、紛争が続き、日々尊い命が犠牲になっている。悲惨な出来事を繰り返さないためにも、許しと寛容の精神をもって祈りを捧げたい」と決意を述べた。
また、濱中事務総長は「世界平和を祈り続けて二十年を迎えたが、残念ながら未だ尊い生命が奪われている。だからこそ、祈りを続けていくことが我々の使命である」と述べると共に、今回の集いの日程について具体的な説明を行った。
続いて杉谷事務局顧問が第一回開催からの経過説明を行うと共に、世界が直面する問題における宗教の役割に言及。今回の祈りの集いでのプログラムを詳細に説明した。その中で、悲惨な紛争を繰り広げたボスニアで民族・宗教の垣根を越えて共に暮らす子どもたちを招き、広島の子どもたちとの交流会、また、新しく鋳造された「平和の鐘」の撞き初めが行われることも明らかにされた。
杉谷師は「ボスニアで新しい平和の芽が育ちつつある。未来を担うこの子らの生き方に直に触れ、我々宗教者も原点に立ち返る必要がある」と述べ、世界平和実現を広く世界に訴えていきたいと開催の意義をアピールした。
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「御懺法講(おせんぼうこう)」を奉修
─新緑に響き渡る声明の音律─
三千院門跡(小堀光詮門主)の最も重要な儀式「御懺法講」が五月三十日同門跡・宸殿において営まれた。
御懺法講は法華経を読誦し、罪を懺悔、罪障消滅を祈る行法。約八百五十年前の後白河法皇の時代に宮中で始まり、幾度となく途絶えたが、昭和五十四年に三千院で復興させ、今年で二十九回目を迎えた。小堀門主を導師として執り行われ(写真)、新緑に映える宸殿に響く声明に出席者や居合わせた観光客らがしばし、魅了されていた。