天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第52号

比叡山宗教サミット20周年記念
「世界宗教者平和の祈りの集い」
記者会見で意義をアピール

 一九八七年八月、世界平和を願う第一回比叡山宗教サミット「世界宗教者平和の祈りの集い」が開催されて今年で二十周年を迎え、本年八月には比叡山宗教サミット二十周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」が開かれる。諸宗教間の対話と相互理解は深まったが、宗教を口実にした紛争も絶えず、全人類の悲願である恒久平和を求める声も止まない。世界の現状は今なお平和にほど遠い状況である。今回の祈りの集いで宗教者はどのような決意を持って「平和」希求の祈りと行動に臨むのか。主催する「日本宗教者代表者会議」の代表者が開催を前に、記者会見で決意を述べた。

 六月二十一日、京都・新都ホテルにおいて、来る八月三、四日開催の比叡山宗教サミット二十周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」に関する記者会見が行われた。出席は名誉議長・半田孝淳天台座主、名誉顧問・白柳誠一カトリック枢機卿、名誉顧問・出口紅大本教主、濱中光礼事務総長、杉谷義純事務局顧問の五師。
 席上、挨拶に立った半田座主猊下は「人類普遍の願望である平和と安らぎは未だ達成されていない。対立と憎悪、暴力と破壊の連鎖でなく、和解と許しでのみ平和の道が拓かれる」と述べ、そのために宗教者の対話と相互理解が重要だと指摘した。白柳枢機卿は「平和を求める正義の概念の中に『許し』を入れねばならない。正義の中に『許し』が入って初めて正義が人間の顔を持つ。今、求められているのはこの正義である」との考えを表明。出口大本教主は「世界各地で民族、国家間の対立、紛争が続き、日々尊い命が犠牲になっている。悲惨な出来事を繰り返さないためにも、許しと寛容の精神をもって祈りを捧げたい」と決意を述べた。
 また、濱中事務総長は「世界平和を祈り続けて二十年を迎えたが、残念ながら未だ尊い生命が奪われている。だからこそ、祈りを続けていくことが我々の使命である」と述べると共に、今回の集いの日程について具体的な説明を行った。
 続いて杉谷事務局顧問が第一回開催からの経過説明を行うと共に、世界が直面する問題における宗教の役割に言及。今回の祈りの集いでのプログラムを詳細に説明した。その中で、悲惨な紛争を繰り広げたボスニアで民族・宗教の垣根を越えて共に暮らす子どもたちを招き、広島の子どもたちとの交流会、また、新しく鋳造された「平和の鐘」の撞き初めが行われることも明らかにされた。 
 杉谷師は「ボスニアで新しい平和の芽が育ちつつある。未来を担うこの子らの生き方に直に触れ、我々宗教者も原点に立ち返る必要がある」と述べ、世界平和実現を広く世界に訴えていきたいと開催の意義をアピールした。
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「御懺法講(おせんぼうこう)」を奉修
─新緑に響き渡る声明の音律─
 三千院門跡(小堀光詮門主)の最も重要な儀式「御懺法講」が五月三十日同門跡・宸殿において営まれた。
 御懺法講は法華経を読誦し、罪を懺悔、罪障消滅を祈る行法。約八百五十年前の後白河法皇の時代に宮中で始まり、幾度となく途絶えたが、昭和五十四年に三千院で復興させ、今年で二十九回目を迎えた。小堀門主を導師として執り行われ(写真)、新緑に映える宸殿に響く声明に出席者や居合わせた観光客らがしばし、魅了されていた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

地球を初めて見た瞬間は、本当に水の球といった感じがしたんですね。真っ黒い空間に、立体的にフワッと浮かぶ、青と白の水の球というのが、地球を最初に見たときの実感です。           毛利 衛

立花隆著「宇宙飛行士との対話」中公文庫 より

 これまで、約二百人が宇宙を飛んでいますが、どの飛行士にも共通するのは「初めて宇宙から、肉眼で地球を見たときの印象は、強烈だった」ということです。
 スペースシャトルから見る地球は、光りの拡散がないのでくっきりと見え、背景が「吸い込まれてゆくような暗黒」で、とても大きく見えるといいます。
 地球を取りまく大気は、本当に薄くて、地上百キロメートルぐらいを覆う程度です。しかし、すべての生物はこの大気がなくては生きてゆけません。地球の直径が一万三千キロメートルですから、大気の層というのは、直径一メートルのボールなら、一センチに満たないような薄さです。
 今、オゾン層の破壊が問題となっていますが、宇宙からみると人間の愚かしさ、自然界の不思議さというのも、一層くっきりと見えるのかもしれません。
 すべての宇宙飛行士が言うのは二つです。
 一つは「国境というものがない地球が見える」ということ。もう一つは、大気の薄さをみて「これを壊したら大変なことになる」ということです。
 毛利さんは「大気の層がないと、地球の生物はみんな焼き殺されちゃうぞと思った」と述べています。

鬼手仏心

「水の国」 天台宗出版室長 谷 晃昭

 
 梅雨明けの 川面に
     キラリ 投網人

 毎週新幹線で前橋の自坊と勤務先の宗務庁を往復している。退屈しのぎに時々俳句とも川柳ともつかない句をひねる。これもそのうちの拙句のひとつ。
 名古屋を過ぎてしばらくすると、木曽川、長良川、揖斐川、という大きな川が続いて眼に入ってくる。滔々と流れる川の姿を見ると、日本が水の国であることをつくづくと実感させてくれる。
 水に関する言い回しは古来様々ある。「水掛け論」は田に入れる水を巡っての争いや論争からきた慣用句であり、「水もの」とは降雨量のように予想が難しく安定しないことからきた言い回しである。
 また、そのほかに、水の豊富な日本らしい言い方で、今までのことはすべてなかったこととして、以後こだわらないようにするという意味の「水に流す」というものや、惜しげもなく使うことを現す「湯水の如く」などの言い方もある。
 中国には「上善水の如く」という言葉がある。命を支える重要な要素である水は、柔軟でかつ、上下をわきまえる謙虚さを持ちながら、しかも岩をも砕く力を合わせ持つ、エネルギーに満ちあふれた存在でもある。この水の持つ性質にならった生き方を佳しとする老子の教えにある言葉だという。水はこのように私たちにとってまことに身近な存在である。
 さてこの冬、例年になく雪の少ない暖冬であった。梅雨になっても少雨らしい。上越国境のダムの貯水量はすでに五十パーセントを切っている。本格的な夏を迎えるにはかなり不安な量である。今年は水を、まちがっても「湯水の如く」には使えないし、汗や汚れを水に流すのにも節水を考えながら流さなくてはならないようである。

仏教の散歩道

最後のわら

 ラスト・ストロー(last straw)という英語があります。辞書を見ると、
 《ついに耐えきれなくなる負担〔行為・事情〕・His laughing was the ~.彼が笑ったのでもう我慢ならなかった……》
 とあります。ラスト・ストローは直訳すれば「最後のわら」なんですが、それがどうしてそんな意味になるのか、おわかりになりますか?
 ラクダに重荷を背負わせます。さまざまな荷物を、もうこれ以上積めないぎりぎりまで積むのです。そして、その上にわら一本を載っけます。そうするとラクダは完全に参ってしまう。その一本のわらが最後のわらです。だから、その最後の一本のわらが、「ついに耐えきれなくなる負担」になるのです。おもしろい言葉でしょう……。
 ところで、注意してほしいことは、この最後のわらはラクダがダウンした原因ではありません。なるほど、その最後のわらを載せることによってラクダは参ってしまいました。でも、ラクダの背に何も積載されていなければ、たった一本のわらが載っても、ラクダは何も感じないでしょう。だとすると、ラクダが倒れた「原因」は、それまでラクダの背中に積載されていた荷物の全量プラス一本のわらになります。一本のわらは原因ではないわけではありませんが、それだけが原因であるのではありません。
 にもかかわらずわたしたちは、その最後のわらを原因と考えてしまうのです。たとえば、流行性感冒(流感)はインフルエンザ・ウイルスによって起きます。すると、われわれはウイルスが流感の原因だと思うのです。だが、健康な人はウイルスが体内に入っても、それで流感にはなりません。流感にかかる人は体力が弱っていたからです。ウイルスは最後のわらなんです。
 そこで仏教では、原因といった言葉を使わず、
 ─因縁─
 といった言葉を使います。因は直接原因で、縁は間接原因です。流感の場合は、インフルエンザ・ウイルスが因で、体力が弱っているというのが縁です。そして因と縁が組み合わさって流感になるのです。最後のわらの場合は、因というものはなく、ラクダの背に載せられた荷物の全重量が縁となってラクダが倒れたのです。
 ですから、仏教においては、因よりも縁を重視します。ということは、因だけで物事を考えてはいけないのです。たとえばわが子が大学受験に失敗したようなとき、彼が怠けたから失敗したのだと見るのは、因だけを見たことになります。たしかに、怠けたということは最後のわらなんでしょうが、その前に怠けたくなるような生活環境を家族の全員でつくっていたという縁があったのです。その縁の全体を見なければなりません。
 

カット・酒谷 加奈

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