第256世天台座主に半田孝淳猊下ご上任
第二百五十五世天台座主探題大僧正渡邊惠進(わたなべ・えしん)猊下(九六)の、ご譲職(辞任)が一月十日発表された。これにより次座探題大僧正半田孝淳(はんだ・こうじゅん)猊下(八九)が、宗憲第十二条、および宗制第四条、天台座主規程によって第二百五十六世天台座主にご上任(就任)されることになった。上任は二月一日。渡邊座主猊下には前天台座主として遇されることになった。
このため、天台座主規程により、次座探題である半田孝淳大僧正が第二百五十六世天台座主にご上任されることとなった。
渡邊座主猊下は、平成九年一月二十日、梅山圓了座主猊下ご遷化のあとを受けてご上任され、十年にわたり天台座主の重責を果たしてこられた。この間、比叡山宗教サミット十周年世界宗教者平和の祈りの集いや天台宗開宗千二百年慶讃大法会などの諸行事では、常に第一線に立たれ、天台宗のみならず、日本宗教界の代表というべき立場で衆生教化に尽力された。今後は前座主として、新しい半田座主を法儀や伝燈継承などの面で補弼し、「今後とも天台宗、総本山延暦寺のために力を尽くしたい」と述べられた。
第二百五十六世天台座主にご上任になった半田孝淳猊下は、天台宗の教学部長、宗機顧問会会長など歴任され、京都五箇室門跡のひとつ曼殊院門跡門主と信州上田の名刹・常楽寺の住職を務められた。
天台宗きっての国際派として知られ、二十年前に比叡山宗教サミット開催依頼のために、海外使節団として渡欧。ヴァチカンのサンピエトロ広場でローマ教皇に謁見し、当時の山田惠諦座主猊下からの親書を手渡したあと、英国に渡り、カンタベリー大主教はじめ世界の代表的宗教指導者と相次いで会談、比叡山宗教サミットの実現に尽力された。特に、比叡山宗教サミットに合わせて「平和の鐘」を打ち鳴らすことを、世界の主要な寺院に要請するなど「国際派」としての実力を発揮された。
故ローマ教皇ヨハネ・パウロ世聖下とは昵懇の間柄で、世界平和に熱い情熱を燃やす座主猊下のひとりである。
また、長野県から、天台座主が就任するのは、明治以降初めて。その温厚篤実なご人徳と新しい感覚には、大いに期待が寄せられている。
傳燈相承式は四月二十六日
二月一日、滋賀院門跡で半田新座主猊下の上任式が行われ、その後、半田座主は伝教大師祖廟である浄土院へ上任のご報告をなされる。
来る三月二日に、比叡山全山を巡拝し、諸仏諸菩薩諸天善神に座主上任を報告するご拝堂式が、また傳燈相承式は、四月二十六日に、比叡山延暦寺総本堂根本中堂ご宝前において、平安の昔そのままに古式ゆかしく執り行われる。
傳燈相承式では、半田座主は諸仏諸天が見守られる中、歴代天台座主の血脈譜に、第二百五十六世座主上任の署名をされる。
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渡邊第二百五十五世座主
明治四十三年(一九一一)、岐阜県生まれ。叡山学院長、滋賀院門跡門主など歴任。平成九年一月、梅山圓了座主のご遷化により第二百五十五世天台座主に就任。天台宗の戒律研究で知られる。
半田第二百五十六世座主
大正六年(一九一七)、長野県県上田市生まれ。大正大学文学部宗教学科卒。宗議会議員、天台宗参務教学部長、天台宗国際平和宗教協力協会顧問、天台宗宗機顧問、一隅を照らす運動顧問など歴任。平成十一年探題に補任。平成十六年から曼殊院門跡門主。