天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第16号

天台宗ニューヨーク別院
初のアメリカ本土開教拠点
森定延暦寺執行大導師により地鎮祭

 六月八日、米国ニューヨーク州イースト・チャダムの「天台宗ニューヨーク別院」で本堂の地鎮祭が厳修され、日本天台宗来賓や、檀信徒はじめ関係者約七十名が随喜した。同別院の聞真・ポール・ネエモン住職は一九九五年に「カルナ・天台・ダルマセンター」を設立。以来、家畜飼料小屋を改造した仮本堂で、仏教に関してのディスカッションや、坐禅止観を毎週欠かさず行なってきている。本堂は明年に完成の予定であり、天台宗では初めてアメリカ本土での本格的な開教のスタートを意味する。

 天台宗のアメリカにおける海外伝道は、ハワイ別院(荒了寛住職)がよく知られているが、日系移民の人々を対象とした仏教から、完全にキリスト教の文化基盤にある現地社会の人々を対象にしていかなければならない時代に入りつつある。
 そこで、天台宗海外伝道事業団(杉谷義純理事長)では、四年前、現在地にネエモン師を支援するために借地であった境内地三万九千坪を取得し、ニューヨーク別院として天台宗と正式に包括関係を結んだ。
 住職のネエモン師は、米国にて二十年ほど禅を研究し、一九八九年より医学、生物学、人類学の研究のため来日。研究のかたわら、仏教の勉強を続け、大正大学の一島正真教授を戒師に得度している。
 一九九四年にニューヨークに戻り、ダルマセンターを設立、布教活動を開始。二〇〇一年には比叡山行院にて四度加行を遂行。現在サイモンズ・ロック大学にて仏教及び日本文化を講義し、また、ホスピス倫理委員会委員長や幾つもの異宗教間会話団体のメンバーとしても活躍するなど、地域社会への貢献もめざましい。そして、日本人である珠美夫人は昨年妙法院で得度を受け、夫のネエモン師の布教を助けている。
 同日の地鎮祭の大導師は、森定慈芳総本山延暦寺執行が勤め、副導師にはネエモン住職、衆僧には工藤秀和天台宗総務部長、小川晃豊宗議会議員、山田俊和事業団副理事長はじめ、事業団事務局のメンバーが出仕した。
 アメリカ本土で行われた天台の儀式としては一番大きく、地元参加者たちは日本の僧侶の立ち居振る舞い、荘厳なる声明に驚きと感動をあらたにしていた。
 ニューヨーク別院は、ネエモン住職はじめ全員がアメリカ人の信者で、全て英語での布教。法要なども、日本と変わらぬ形でおこなっている。当日の地鎮祭でも、般若心経などは英語で唱えられた。
 地鎮祭の後の懇談会では、ネエモン住職からこれまでの活動報告と、今後の海外布教の方針が説明され、更に外国人僧侶育成のシステムの必要性が訴えられた。そして、九月から始まる本堂と将来には行院となる修行道場の建設説明が行なわれた。

-ネエモン住職に期待-

 ニューヨーク別院は三年前に天台宗と包括関係を結んでおり、信者は百五十人ほど。ネエモン住職は「宗門と密に連絡を取って、北米の一大拠点にしていきたい」と語っている。
森定延暦寺執行は「ニューヨーク別院は、豊かな自然に恵まれた素晴らしい場所である。天台宗が、日系移民ではなく、現地の人びとに布教するのは初めての試みであり、システムの確立や、宗門と密接に連絡を取りつつ、住職への適切なアドバイスが必要であろう。ネエモン住職の今後の精進に多いに期待したい」と語っている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

自分に対して自信を持ち、いつも自分が向上することを考えていれば、人をいじめる暇(ひま)などないはずです。そして、他人に自分とは異質なものをみつけたら、むしろその異質な人が、いったいなにを考えているんだろうと思って、もう一度、自分の生き方を反省するのが、私は人間のあるべき姿だと思うんです。

『梅原猛の授業 道徳』 梅原 猛著  朝日新聞社刊

 自分と違った人を前にすると不安になるのが人間だといわれます。その人を排除するのがイジメであり、認めるのが友達になることだといえるでしょうか。
 特に日本人は他人と同じだと安心し、自己の考え方を積極的に主張することが苦手です。長いものに巻かれたり、画一性の中に埋没する心地よさにどっぷりと浸っているのです。しかし、それはホンネとタテマエ、面従背反という陰湿さと紙一重になりがちです。
 一方で、違う価値観を共有するには、とことん話し合わねばなりません。これは、忍耐力のいるしんどい作業です。日本人なら、黙っている方がラクだと思うでしょう。
 それでも、間違ったことを黙認していることは、もはや許されないことを私たちは知っています。
 今日、個性と創造性を発揮せよと声高い主張がなされていますが、その前にお互いを理解することの方がよほど大事です。異質なものを排除せず、まず理解しようとする試みから入りたいと思います。

鬼手仏心

骨から見る 天台宗出版室長 工藤 秀和

 
 私は、時々、骨になります。
 もう、自分は生きていないのだと仮定して、骨の立場から、ジッと世間を眺めるのです。こうすると、今までとは全く違う世界が見えてきます。
 実は、骨になることを、私に教えてくれたのは詩人の中原中也です。彼は、こんなふうに書いています。
 「ホラホラこれが僕の骨-見てゐるのは僕?可笑(おか)しなことだ。霊魂はあとに残ってまた骨の処にやって来て、見てゐるのかしら?」『骨』。
 生きる、ということは、常に自分を勘定に入れることです。「他人よりは、たくさん儲けたい」「無視されるのはイヤだ」「病気はせずに長生きしたい」などの様々な思いで、人は暮らしています。
ところが、骨になってみると、肉体は、この世に存在していないのですから、個人の欲が入る余地がありません。ですから、あくせく動いている浮世を冷静に見ることができます。自分は、もう存在していないけれど、その他は、普段通りの生活が営まれている日常を想像してみてください。普段は気をつけていない光も、緑も、水も新鮮です。「ああ、有り難いな、美しいな」と感じます。全然関係のない他人でも「幸せに生きて欲しいな」と思います。まして自分がこの世に残した(?)家族たちならなおさらです。自分を勘定のラチ外に置いてみると、ものの善悪もよく分かります。この世のものはみないとおしく、輝いています。そのことを満喫した時点で、私は骨から人に戻ります。そうすれば、せっかくの生命をもらっているのだから、今日も精一杯楽しく生きよう、他人を非難したりしないようにしよう、というポジティブな意識が芽生えます。
 「恰度立札ほどの高さに骨しらじらととんがつてゐる」『同』。

仏教の散歩道

愛語はほとけさまの言葉

 昔の日本では、結婚式の前夜、花嫁の実家で花嫁が使っていた茶碗を割る風習がありました。じつは、この風習は葬儀のときにも見られます。死者の棺を送り出したあと、死者が生前に使っていた茶碗を割ってしまうのです。
 おそらくこれは、花嫁や死者に対して、
 「二度とこの家に戻ってくるな!」
 と言っている意思表示であり、おまじないだと思われます。死者が化けて出て来ては困りますし、花嫁も離婚になって生家に戻って来るのはよくないことです。
 ところで、佐藤俊明著の『心にのこる禅の名話』(大法輪閣)には、次のような話がありました。
 北野元峰禅師(一八四二~一九三三)は、大本山永平寺の第六十七世の貫首です。彼が二十歳のとき、東京で修行中の彼の所に母危篤の電報が届き、彼は急いで福井県の実家に帰りました。幸いにも母の病気は快方に向かい、元峰は再び東京に戻ります。
 そのとき、彼は両親にこう挨拶しました。
 「わたしは立派なお坊さんになるよう努力します。もし万が一、わたしが堕落坊主になったら、二度と再びこの北野家の敷居はまたぎません」
 すると、それを聞いた母親が言います。
 「これこれ、そんなことを言うもんじゃないよ。おまえさんが堕落坊主になったら、なおさらこの家に帰ってきてもらわにゃならん」
 名僧知識になったなら、大勢の人が慕ってくれます。だが、堕落坊主になれば、誰一人相手にしてくれません。淋しいでしょう。そんなときこそ、この家に帰っておいで。母はおまえがどんな人間になっても、またどんなときでも、おまえをやさしく迎えてあげる。大手を振って玄関から入れないときは、窓からでも入っておいで。母は息子にそう言い聞かせました。
 わたしはこれを読んで、すっかり考え込んでしまいました。「離縁されるなよ。二度と実家に戻ってくるな!」も、ひとつの愛情表現です。しかし、「つらくなったら、いつでも戻っておいで」も、違った意味での愛情表現です。では、どちらがすばらしい言葉でしょうか? あるいは、あなたはどちらが好きですか?
 仏教には「愛語」と言った言葉があります。慈悲の言葉です。ほとけさまの言葉です。
 わたしは、親が子どもに、「立派な人間になりなさい」と言うのは愛語だとは思いません。「あなたがどんな人間になろうと、お父さんはおまえの味方だぞ」「あなたがどうなってもお母さんはあなたが大好きよ」と言うのが、愛語だと思います。いま日本の子どもたちは、そんな愛語に飢えているのではないでしょうか……。

カット・伊藤 梓

ページの先頭へ戻る