天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第113号

比叡山宗教サミットで実行委ら記者会見
「被災者に手を差しのべ続ける」
― 半田座主猊下が宗教者の使命を強調 ―

 比叡山宗教サミット二十五周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」が「自然災害の猛威と宗教者の役割」三・一一大震災と原発事故への反省と実践の総合テーマのもと、来る八月三、四日、国立京都国際会館および比叡山延暦寺において開催される。世界の諸宗教代表者ら約二千名が出席する予定で、シンポジウムやフォーラムなども行われる。去る七月六日、半田孝淳・同集い実行委員会名誉顧問(天台座主猊下)はじめ、同委員会の各役職者が記者会見を行い、その開催趣意、スケジュールなどについて明らかにした。

 記者会見にあたり半田座主猊下が、今回の祈りの集いの開催について、宗教者の使命を「大自然の猛威によって亡くなった方々の霊を鎮めることにある。喪失感、無力感、また現実の生活の悩みにうちひしがれている人々と共に歩むことが、我々の立場である。最愛の家族友人を一瞬のうちに奪われ、住居や仕事を失った人々が、一日も早く平安を取り戻し、安寧に暮らすことができるように寄り添い、救援の手を差しのべ続けなくてはならない」と述べ、更に福島第一原子力発電所の放射能漏洩事故については「今回の原発事故は、人間のあくなき欲望を満たそうと突き進むあまり、大自然に対する畏敬の念を軽んじたことが根本にあるように思われてならない」と語られた。
 更に今回は、内戦状態にあるシリアからも、シリア正教府主教が来日する予定。またトルコやインドネシアなど、過去に大災害に見舞われた国々の宗教者が、シンポジウムやフォーラムで、被災者や災害に向き合ってきた体験を語り、共に犠牲者に祈りを捧げる。
 八月三日は、国立京都国際会館において開会式が行われた後、哲学者の梅原猛氏が「自然災害と人間の文明」と題し記念講演を行う。シンポジウムでは、各国宗教代表者がパネリストを務め「被災者に宗教者は如何に向き合ってきたか」をテーマに討論。 
 四日午前中は、原発事故で緊急の課題となったエネルギー問題についてフォーラムが開かれる。「原発事故が提起したエネルギー問題と宗教者の立場」と題するテーマをもとに、各宗教からのパネリストが、それぞれの宗教的見地から議論する。
 午後からは、会場を比叡山延暦寺根本中堂前に移し「世界平和・祈りの式典」が執り行われる。海外招請者、国内宗教者など約千名の参加者が、多くの自然災害で亡くなった犠牲者への追悼式典を営む。また最後に、宗教者の立場と責任を明らかにする「比叡山メッセージ二〇一二」が発表される。

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 鳩山元首相が出席・円仁展開幕

 慈覚大師一千百五十年御遠忌と日中国交正常化四十周年を記念した「円仁展」が、七月二十三日から八月二十日まで、東京虎ノ門の中国文化センターで開催されている。
七月二十三日のオープニングセレモニーでは、鳩山由紀夫元首相らがテープカットを行った(写真)。
 続いて、二十六日には「慈覚大師を語る」と題した講演会(四、五面別報)が行われた。また八月八日には天台声明「慈覚大師御影供」と雅楽のセッション、十日は千宗屋師の「天台と茶の湯」の講演会がある。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

「黒にも厚みがあるからね」

「こころを揺さぶるあのひと言」岩波書店 写真家 十文字美信

 昨年亡くなった佐野武治さんは、世界でトップクラスの照明技師です。
 黒沢明監督の後期作品すべてで照明を担当したほか、篠田正浩監督の「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」では名手といわれたカメラマン宮川一夫さんと組みました。
 その映画を見た十文字さんは「北国の寒風に耐えながら、逆境に抗って必死に生き抜こうとする強い意志が、皮膚を透かした血の色となって表現されていた」と驚嘆しました。
 十文字さんが、佐野さんに照明について質問をすると「スチールカメラマンと映画のカメラマンでは、光に対する考えが違うんだよね」と言い「画家は最初に白いカンバスに絵の具を置くけど、僕は黒いカンバスに光りを当てるんです」と教えてくれました。
 そして十文字さんが「本当の黒を撮る時にはどうしますか?」と聞いた時、佐野さんは「ライトに赤いフィルターを巻くんです。黒にも厚みがあるからね」と答えます。
 黒にも厚みがある、とは興味深い言葉です。その世界で生きている人にしか言えない言葉でしょう。
 単に黒だけでは漆黒の闇にはならない、それが正反対ともいえる赤を足すことによって深みのある色味が出てくる、なんだか人間にも当てはまることのように思えます。
 ストレートに生きていた人、また美男美女というのは、それはそれで立派なのですが、どこかもの足らない。苦労して生きてきた人には、顔にも態度にも独特の味というか、深みがあるように思えます。
 「物語を背負える顔というものがある」と言ったのは、故伊丹十三監督です。美男美女やアイドルといわれる人では、まだまだ波乱に満ちた物語を背負える顔になっていません。
 現在は「アンチエイジング」や美魔女などと称して、年をとることに抵抗する風潮がありますが、若いことだけが魅力であるという価値観を、誰かが仕掛けているのでは。
 「人にも厚みというものがあるからね」。 

鬼手仏心

影の人 天台宗出版室長 杜多 道雄

 
 作家の吉川英治さんが菊人形職人に贈った句に「菊作り 咲きそろう日は 陰の人」というのがあります。
 菊人形を見に来る人は、その華麗さに目を奪われたとしても、人形を作った職人(菊師と呼ばれる)や、人形菊という特殊な菊を栽培する農家の苦労にまで、思いをいたす人は希です。
 吉川さんの句は「それでいいじゃないか。分かる人には分かるのだから」という「社会の下支え」をする人に対する温かいエールが感じられます。
 菊人形といえば、関西では大阪府枚方市のひらかたパークでの大菊人形展が有名です。しかし人形菊を作る農家や、菊師と呼ばれる人形職人が高齢化し、二〇〇五年に惜しまれつつ九十六年の歴史に幕を閉じました。
 ところが、開業百周年の今年十月、「ひらかたの秋 菊人形祭」として再び幕を開けるというニュースが報じられていました。菊人形を手がけるのは「ひらかたパークで初めて」の女性菊師だといいます。
 五十七歳の女性菊師は、最初は人形に着せるための菊を束ねる仕事から始めました。それから、菊師に人形に付けられた菊への水やりを熱望し、数年後には菊を着せる仕事も手伝わせてもらえるようになりました。「いつかは自分も一体」との思いがありましたが、とても言い出せず、捨てられた菊を使って、予備の人形で試してみる日々でした。
 十数年たって「私も菊師になりたい」と打ち明けると、菊師は「最低でも十年は頑張れ」と励ましてくれ、ついには「よく技を盗んだ」と免許皆伝。
 「きっと再開される日が来る」と待ち続けた「陰の人」が作る菊人形は、見事なものでしょう。 

仏教の散歩道

ほんとうの安楽

 災難に遭ったとき、苦境におちいったとき、わたしたちはもがき苦しみ、悩みに悩みます。なんとかしてその苦しみから脱却したいと願い、あれこれその苦しみから逃れる方法を模索します。だが、そのとき、気をつけなければならないことがあります。
 何でしょうか…?
 江戸時代の黄檗(おうばく)宗の禅僧の鉄眼道光(一六三〇八二)の言葉を聞いてください。
 《まどえる人の楽とおもうは、苦をもって、楽とおもえるなり》(『鉄眼仮字法語』)
 〔迷っている人が安楽だと思うものは、苦しみであるのに、まちがってそれを安楽と思っているのだ〕
 借金が返済できなくて苦しんでいる人がいます。いろんな事情があって借金するはめになったのです。一概にその人が悪いとは言えません。
 で、その苦境を脱するために、その人が、
 〈金があるといいのに…〉
 と考えたとしたら、その人はまちがっています。「金がある」ことは安楽ではありません。その人は迷っているから、安楽でないものを安楽と思い誤ったのです。
 よく考えてみてください。その人はなまじ金があったから、借金するはめになったのです。少し金があったから、事業を拡張したいと思って、借金をしたのです。金持ちの家に生まれた者が道楽に走るのも、なまじ金があったからです。
 それをまちがって、金があると幸せになれると思えば、泥棒をしてでも金を手に入れたくなります。あるいは、ますます大きな借金をして、そのあげくにっちもさっちもいかなくなります。
 では、どうすればいいのでしょうか?
 その人は、まちがった考えをしないことです。
 その人が本当に安楽になれるのは、借金のあることに絶望せず、少しずつ借金を返済していくことです。そんな苦労はしたくないと思うでしょうが、その人にとって苦労をすることが安楽なのです。
 あるいは、破産宣告をして、残りの人生を貧しく生きる道もあります。それを「茨(いばら)の道」と見る人もいるでしょうが、苦境におちいった人には「茨の道」こそ安楽です。そこをまちがってはいけません。
 人間関係がこじれて悩んでいる人がいます。ともすれば、あんな人とは関係を持ちたくない。すっきりさせたいと思うかもしれませんが、そんな関係が清算された状態が安楽とはかぎりません。それはそれで、別の苦しみがあります。
 それよりは、こじれてしまった人間関係を少しずつ修復していくことが、本当の意味での安楽です。案外、苦労を楽しむのもおもしろい生き方ですよ。 
 鉄眼はそれを教えてくれているのです。

カット・酒谷 加奈

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